移住者インタビュー 北嶋邦昭さん(肥育牛農家)


大村市中心部から車でおよそ15分。市街地を見下ろす山あいで、200頭もの牛たちを育てている北嶋さん親子。手入れが行き届いた牛舎をのぞくと、足を投げ出して気持ちよさそうに寝転んでいる姿が目に留まります。これはリラックスできている証拠。そのためには3週間ごとの床替えが欠かせません。「牛舎から牛を移動させて溜まった堆肥を取り除き、新しいおがくずを敷いてあげる。人間も同じ。寝床はきれいな方がよかもんね」。かなりの重労働ですが、肥育農家の北嶋さんにとって、おいしい肉質に仕上げることが何より優先すべきこと。ストレスのない環境を整えてあげれば、エサもよく食べるようになるし、どんどん大きくなって肉質も上がるというワケなのです。
毎日欠かさず、牛たちの様子を見て回る北嶋さんですが、家業を継ぐことに迷いもあったといいます。高校卒業後は関東の大学に進学。「もう大村には帰らんやろうな」。遊ぶところがたくさんあり、ちょっと足をのばせば地元のように海や山といった自然も感じられる。都会での暮らしが楽しくて、卒業後も地元に戻らず自動車関連の仕事をしていました。


そんなある日、北嶋さんに転機が訪れます。牛舎が火事になり、1棟が全焼してしまったのです。「家族から『そっちで就職したいともあるやろうけど、一度帰ってきて』と電話が。人より2年間多く遊ばせてもらったし、行政や近所の人にも後処理の手伝いをしてもらっていたから一時的に帰ろうかなと」。そこで目にしたのは、いつもは気丈に振る舞う父親の落ち込んだ姿。「もう神奈川には帰らんやろうな」。自分に手伝えることがあるならと、25歳を前に地元にUターンしました。
とはいえ、父親は昔気質の性格。牛の世話について手取り足取り教えてくれるわけではありませんでした。大学で畜産を専攻していたものの、現場ではその知識が通用しないこともしばしば。そのため父親と何度も言い合いになったこともあるといいます。「でも最終的に目指すのは同じ方向だったから険悪になりすぎることはなくて。1週間、口を聞かんぐらいかな(笑)」。また同じ地区に年代が近い同業者がいること、「農業もひとつの産業」と行政が応援してくれることも北嶋さんの励みになっているようです。


地元にUターンして26年。40歳をすぎたころから、ようやく仕事に誇りを持てるようになったと笑います。「いい結果が出た時はうれしいけど、仕事を楽しいと思ったことは一度もないですね」。その言葉の裏には、牛たちの命をあずかる者としての強い責任を感じます。生後8か月の子牛を買って、肉質等級を上げながら20~22か月で出荷。「この仕事をしていると、『かわいそうじゃない?』とよく聞かれます。だけど途中で死んだりする方が余程かわいそうだと思うんです。命を全うさせてあげたい、おいしいお肉にしてあげたいその一心だけ。だから牛たちを弔うためにも、味の研究をするためにも、出荷したお肉を食べることにしているんです」。目標は松坂牛や神戸牛といったレジェンドに肩を並べること。大村育ちのブランド牛を目指して、北嶋さんは今日も正装の長靴を履き、父親と一緒に牛たちのお世話に汗を流します。